金融の基礎を知るための金融入門ガイド>国際通貨体制の歴史とは その2

国際通貨体制の歴史とは その2

国際通貨体制の歴史は、1971年に起こった「ニクソン・ショック」により、「固定為替相場制」が崩壊しました。

これ以降、国際協調による「変動為替相場制」に移行して行きます。

●1971年12月 スミソニアン体制
ワシントンにあるスミソニアン博物館において、ブレトン・ウッズ体制崩壊後の国際通貨体制に関する10ヵ国財務省・中央銀行総裁会議が開催されました。

この会議では各国の為替相場が調整され、アメリカが大幅な貿易赤字に陥っていた日本の「円」や西ドイツの「マルク」については為替相場の切り上げが決定されました。

日本円は1ドル=308円に固定相場が円高へと修正されました。

これらの新通貨体制を「スミソニアン体制」といいます。

スミソニアン体制はブレトン・ウッズ体制と同様、「ドル本位制」が採用されました。

●1972年
イギリスが変動相場制を採用したことにより、世界の国々が変動相場制へ移行するようになりました。

●1973年
「ドル」と「金」の交換の停止が継続されていたことと、アメリカの貿易赤字が改善されなかったこと、各国が変動相場制へ移行しているから、スミソニアン体制が崩壊しました。

●1979年
欧州通貨制度(EMS)が発足。

●1980年代
世界が変動相場制に移行して以降、アメリカ・ドルは下落を続けていました。

レーガン大統領は「強いアメリカ」を取り戻すため、財政拡張と金融引き締め政策を実施しました。

金利引き締め政策によって米国の金利が高騰すると共に、アメリカ・ドルが上昇し始めました。

アメリカは、米ドルの上昇に伴い貿易赤字が大幅に増加することとなり、経済や産業に大きな打撃を与える結果となりました。

「国際通貨体制の歴史とは その3」につづく

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