金融の基礎を知るための金融入門ガイド>国際通貨体制の歴史とは その3

国際通貨体制の歴史とは その3

国際通貨体制の歴史は、変動相場制に移行した後も、基軸通貨であるアメリカ・ドルの高騰により、世界経済は不安定な状況になっていました。

ドル高の状態を打開するために、アメリカは主要各国に対して協力を要請しました。

●1985年 プラザ合意
ニューヨークのプラザホテルにおいて、先進5ヵ国財務省・中央銀行総裁会議(=G5)が開催されました。

当時の先進5ヶ国とは「アメリカ・イギリス・フランス・日本・西ドイツ」で、ドル高是正のために金融政策の協調介入をすることが合意されました。

これを「プラザ合意」と言います。

アメリカ・西ドイツ・日本の3ヵ国が為替市場に対して介入したことにより、日本では円相場1ドル240円が、1987年2月には1ドル150円まで円安ドル高となりました。

●1987年 ルーブル合意
プラザ合意により実施された金融政策は、高い効果を得ることができました。
わずか2年のうちに、ドル高だった為替レートは次第にドル安へと移行していきました。

しかし、これ以上のドル安になった場合、ドル暴落の懸念が問題視され、為替相場の安定のため、先進国が協調していくことになりました。

「ルーブル合意」は、プラザ合意の5ヶ国にさらに2ヶ国(イタリア・カナダ)を加えたメンバー「G7」として、パリのルーブルで開催されました。

ドル安を安定させ、このまま為替相場の水準を維持することが決定されました。

●1980年代後半〜1990年代前半
ルーブル合意の成果により、為替相場の変動幅は日本円では1ドル120〜150円の間で安定するようになりました。

●1999年 ユーロ導入の決定

●2002年 ユーロ通貨の流通スタート

●2005年 中国の人民元切り上げ

現在も米ドルが基軸通貨として世界中で使用されています。

ただ、変動相場制は短期間で急激な相場変動が起こることもあり、世界の金融システムを安定させるために、相場の動きに対して今後も注視していかなければなりません。

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